つぶやき前ちゃん    「私、その8」

2024年06月27日 06:04

〈新聞屋時代〉
岩手の田舎から、いざ東京へ。
旅立つ日、お袋がわざわざ東北本線の一ノ関駅まで見送りに来てくれた。[故郷]みたいな音楽がBGMで流れていて、集団就職のそれとは違うが、あっちでもこっちでも、皆んな家族友人に見送られて、今生の別れではないが、少し悲しかったのを覚えている。私は18歳。お袋が準備してくれた、ジャケットとスラックス、そしてストライプのネクタイ。頑張れよと、精一杯やってくれたのだと思う。
さて、東京だ。
私は、予備校生。新聞奨学生である。ここから少しおかしくなるのだ。朝、3時に起き、朝刊の配達。夕方5時には、夕刊の配達。月末には、受け持ちの400件の集金。その間に予備校という感じだ。学費、朝飯夕飯はあったので、金は無いが、腹はそんなに減る事はなかった。しかし、この不規則な生活、ある意味規則正しいのだが。私は、仕事は真面目にこなし、学校はいつもの公園で昼寝を繰り返す。そのうちに、自暴自棄になる。自分の部屋にテントを張って、カセットコンロで自炊生活。人とは、ほとんど口をきかなくなった。でも、この生活を知らない外の人とはいつもの自分。苦痛苦悩の時だった。理由は未だよくわからない。単に田舎者だったのかもしれない。それから、学校も行かず、テントにこもる日がしばらく続くのだ。ある時、先輩の誘いで、国立第二病院の掃除のアルバイトをする事になった。朝、配達が終わり、ご飯を流し込んで、新聞屋のごつい自転車で自由通りを病院に向かう。仲間は、パートのおじさんおばさんだ。また少し障害のある方。まず、一辺が100メートルはある廊下のモップがけだ。(確か4階建で、十文字の形をしていた)若さで、毎日走って掃除をした。結構な距離だ。モップにつく綿ぼこりが半端ない。そして、職員用お風呂のお湯を抜いてるうちに、厨房の残飯をドラム缶ばりの容器5、6個に移し替えて、台車で集積所まで運ぶ。戻って、お湯を抜いていた風呂の掃除。湯船、洗い場、念入りにやる。一度、お湯を半分抜いて足し湯した事が婦長にばれて叱られたからだ。女性は良く見ているのだ。そして、少し大きめの箱形台車で各階の手術室の術後のゴミと普通ゴミの回収だ。集める時、注射針を自分に刺した事もある。悪い病気にならなくてよかった。集め終わると、でかい焼却炉にぶち込むのだ。冬はよかったが、夏は地獄。私にとってここでの仕事は、おじさんおばさん、障害の方との楽しい会話は、前嶋復活の一歩になった。そして夕方は、また配達に向かうのだ。
長いので続きはまた今度。

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